京都市の高校入試総合選抜制度では、いわゆる「バス停方式」を用いて、
自宅から最寄りのバス停によって進学する高校が振り分けられてしまうという現状にありました。
当時15歳の私はこの制度に疑問を持ちました。

「なぜ、どうして、行きたい高校に進学できないのか」

調べてみると、「15の春は泣かせない」というフレーズの基に行われた過去の教育政策が原因と分かりました。
また、この時、「学校選択制」という制度がある自治体の存在も知りました。

「行政によって、こんなにも違うことがあるのか、
          ならば、自分が京都の行政をよりよくしたい」


この想いが私が政治家を志す最初の一歩でした。

そんな政治への志を胸に、大学に進学しました。
しかし、政治家の家系に生まれたわけでもなければ、お金持ちの家の子供でもありません。
また、「政治家」のイメージといえば、ダーティなものでした。
それを確かめてみたいという思いを持って、衆議院議員事務所へインターンシップ制度を利用して飛び込みました。

そこで私が見たものは、故郷のために一所懸命に働く政治家の姿でした。どこのものかもわからない私に、
隠すことなくすべてを見せてくれました。そして、多くのことを教えてくれました。

生まれ育った故郷だからこそ街をよく知り、故郷のためならなんでもやると、あらゆることに取り組まれ、理想の街づくりを推進される姿を目の当たりにし、ダーティなイメージなど吹飛び、憧れを抱きました。

私も将来、必ず自分の生まれ育った故郷のために働きたい。

彼の背中を見て、そう強く決意しました。

将来故郷のために働きたい。
その想いを胸にしながら、政治一辺倒ではなく、民間企業での経験を積みたいと思いNTT西日本へ就職しました。

岡山県、鳥取県、愛知県、大阪府と転勤を繰り返す中で、どこの勤務地でも自己紹介で「京都出身」ということをいうと必ず、
「京都は本当にいいところですね!」「京都に一度住んでみたいなぁ。」など、日本人であれば誰もが一度は訪れた街である京都の
出身であることを誇らしく思いました。

しかし、京都に戻り、ずっと京都に住む友人に会うと全く逆の意見を聞きました。
結婚した友人は「京都は高すぎて、家が建てれない。滋賀県に引っ越そうかなぁ。」
お母さんになった友人は「子育て支援が手厚いわけじゃないし、子育てしやすい街ではないよ。」

京都の外から見た「京都」は観光地としての「京都ブランド」を確立しているが、
京都の中から見た「京都」は決して「住みよい街」ではない。


そう強く感じる中で、小さな頃からの想いを胸に、
「生まれ育った故郷、京都のために人生を賭けよう」
京都市政への挑戦を決意し、会社を退職しました。

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